プレスリリース ファルマコン 生命のダイアローグ2019

展覧会「ファルマコン :生命のダイアローグ」

プレスリリース vers.2019/11/30できました。以下のリンクよりダウンロードしてください。

<毒>は私たちに何をもたらすのか?

ファルマコン  「生命のダイアローグ」 Pharmakon : Dialogue de la vie
2019.12.8-12.25 12:00-20:00
オープニング  12/8  17:00-20:00 ゲスト:中島智(芸術人類学者)
クロージング  12/25 16:00-20:00
シンポジウム 12/22 15:00-17:30 講師:エルキ・フータモ(UCLA教授)
場所:京都大学 稲森財団記念館3階中会議室
参加作家:フロリアン・ガデン、大久保美紀、ジェレミー・セガール
( Florian Gadenne, Miki Okubo, Jérémy Segard)
キュレータ:大久保美紀
主催:京都大学こころの未来研究センター 研究プロジェクト「現代社会における<毒>の重要性」(企画代表者:吉岡洋)
共催:ギャラリー8
GALLERY8 神戸市中央区海岸通9番地チャータードビル2.3F 078・392・2880

☆オープニングレセプション 2019.12.8 17:00−20:00
ぜひお越しください!お会いできるのを楽しみにしています。
ゲストとして芸術人類学者の中島智さんをお招きし、トークがあります!お楽しみに!

プレスリリース 20191130_compressed

florian gadenne/フロリアン・ガデン, drawing “oe” について 3

ようやく、ドローイングそのものについて見て行こう。

まずはガデンが簡潔にまとめたドローイングについてのテクストを引用する。

「oeは、DNAの二重螺旋構造を基盤に構成された生きた建造物であり、それ自身が異なる器官(ミクロオーガニズム、細胞内器官、ウイルス、バクテリアなど)によって構築されている。

一見すると二元論的であるこの構造は、いわゆる「健全な」器官からなる上部、「病的な」器官からなる下部という二つの主部分によって構成されている。上部は、ブリューゲルの描くバベルの塔を着想源とし、<良方>へ向かっての上昇を表す一方、下部は、ボッティチェリが描いたダントの地獄を参照している。

また、この<良>と<悪>という二元論的概念が入り混じる三つ目の部分、つまり上部下部構造が接触する境界面では、ファージのような食細胞、エキゾサイトーシス(分泌)、変性や突然変異といった異なる反応が見られる。病的器官はいわゆる「健全」なるものに刺激を与え、それらに何らかの変異をもたらす。

oeを通じて、私たちは、恒常的に変化する生命の表現の、矛盾的で複雑なダイアローグを目の当たりにするだろう。」(フロリアン・ガデン、ブログより)

さて、先に紹介した「バベルの塔的細胞」の二つのドローイングとこの三つ目のドローイングでは根本的な構造の違いがあり、それはこのoeにおいてはバベルの塔の基底部分を境に、天へ向かって上へ上へと伸びていく塔に相反するつくりである地獄への構造がちょうど反転するように組み合わされている点である。実は、この上と下の組み合わせによって、ガデンは生命のダイアローグという主題について、対になるものを描き出すためのストラクチャーを見つけ出している。「バベルの塔的細胞」においては上へ向かう生命の営みを描いたが、反転したストーリー(地獄)をoe において補っていくことになった。

上部構造であるバベルの塔は、ブリューゲルが描いた「バベルの塔」を参照しており、実は、cellule babélienneには50cm×60cmの初期作が存在し(写真)これをみると、バベルの塔的細胞が次第に、人工的な建造物の形態から離れていく前の、ブリューゲルの描いた塔からの直接的参照がはっきり見て取れる。この最初のドローイングにおいて、頂点を核とする構造はoeに等しいものの、核に行き着くまでの徐々に登っていく道の中に、ゴルジ体やミトコンドリア、液胞などの構造がその内部に組み込まれる形になっている。そして、最も地に近い部分と核へ向かう最後の細い道などは、階段状の構造や窓のような構造が見られ、非常に建築的である。

oeにおいて、この上部構造には何が描かれているだろうか。頂点の<卵>から伸びる8本の鎖は、その内側に健全な細胞構成物を含みながら螺旋状に降りてくる。それらは次第に、毛細血管のなかへ絡みとられてゆき、その毛細血管は次第に変容し、赤血球や白血球がときには破壊されたり、コレステロールに侵されたりしながら、第三のゾーン(天へ向かう塔と地獄への入口が出会う境界面)へと向かっていく。

下部構造である地獄は、ボッティチェリが描いた「地獄の見取り図」を参照している。「地獄の見取り図」は、時獄篇、煉獄篇、天獄篇の3部からなるダンテの「神曲」の挿絵としてボッティチェリが描いた作品であり、地獄は漏斗状の逆円錐構造をとっていて、地球の中心に向かう形で9つの異なる環に別れている。9つの異なる環は、それぞれ生前の罪によって人々が振り分けられ罰せられる世界となっている。9つの罪の種類は、1から順に、洗礼拒否、好色、大食、貪欲、憤り、異端、暴力、悪意、そして裏切り。ガデンのドローイングにおいては、上部構造において、DNAの二重螺旋が毛細血管に変化したのちに、再びそれらが集まって、太い束となり、それらが撚る形で下へ下へと降りていく。その撚られた構造の中には、複数の<病的な>細胞や微生物が複雑に絡み合いながら、うごめく。

このように、なるほど一見して、ドローイングは、天に向かう上部構造と地の中心へ落ちていく下部構造である「バベルの塔」と「地獄」が、中心でピタリと合わされた構成をとっている。

さて、oe は、この構成が示すように、表現するもののレベルで、果たして二元論的な思想を体現しているのだろうか。ガデンは、自身の作品についてのテクストで、この二元論的な、つまり<善>と<悪>の対立構造について、「一見すると二元的だが、実は矛盾的で複雑な生命の営み」と表現している。この、複雑さについて言及するため、次の記事では、上部構造と下部構造の出会う三つ目の部分、境界面について着目してみたい。

florian gadenne/フロリアン・ガデン, drawing “oe” について 2

oe について 2

作品oe dans l’oのロゴといったらいいだろうか、サインというべきだろうか。このシンプルでありながら多義的な記号はoe dans l’oの表すものをとても単純にしえている。ドローイングの複雑さに対して、この記号の簡潔さは面白いほどである。

まず、oe (dans l’o)というタイトルについて、ガデンのプロジェクト説明の記述の助けを借りて、読み解いてみよう。oe は二つのアルファベットから構成され、フランス語では日本語の母音「う」の舌の位置をキープしたまま「う」と「え」の間くらいの口のすぼめ具合で発音してみるといい感じのoeの音が出る。この母音は、合字の母音で、フランス語では古代ギリシャからの借用語に使われて来た。そう知って探してみるとどの単語が古代ギリシャ語からの借用語かわかって面白い。ガデンの説明に沿って例をあげてみると、例えば:

œcuménique »:全世界的な、普遍的な。インド・ヨーロッパ語やサンスクリット語における家族や家に相当し、ギリシャ語においては遺伝的に結ばれる部族と関係がある。

œil” :目、視覚器官。目のような形をしたあらゆるもの、たとえば動物の毛皮にある目玉のような模様や、孔雀の羽の模様、蕾や芽。

œuf” :卵、卵子。

œuvre” :作品。女性名詞として、具体的に行われた仕事(ergon)。錬金術の分野で男性名詞として用いられ、卑金属を金に完全変換する、あるいは賢者の石を想像する「大作業」を意味する。

fœtus” :胎児、出産、新生児、世代。ちなみにfeはインド・ヨーロッパ語で「乳を飲む」ことに関係がある。たとえば、fécond(多産), femme(女)に共通。

さて、oe (dans l’o)は、その構造の頂点に一つの卵子を持つ巨大で複雑な建造物である。卵子を取り巻くのは8つの精細胞で、それらは卵細胞から遠のくにしたがって次第にDNAの二重螺旋構造として翻訳される。錬金術において卵は宇宙の創造を象徴すると同時に金属の変質を意味する。<世界の卵>(oeuf du monde)、すなわちあらゆるものの起源はエジプト神話を含め世界の数多くの神話に登場する。

卵(oeuf) は成長して胎児(Foetus)となる。ドローイングoeの記号には明確に胎児(foetus)が据えられている。 またドローイングの頂点は、生命の起源としての<卵>(錬金術における世界の卵とも卵子とも取れる構造)が君臨している。(写真)

florian gadenne/フロリアン・ガデン, drawing “oe” について 1

oe について 1

今日からは数回にわたって、フロリアン・ガデンの巨大ドローイング“oe”について、論じていこうと思う。

フロリアン・ガデンの公開制作の巨大ドローイングを昨年2018年12月に京都の想念庵でご覧くださった方々は思い出していただけるだろう。この作品は、昨年京都で展示された際 cellule babélienne 3 と題されていた2メートル×4メートルのドローイングである。想念庵では、制作中のゾーンの上と下の部分は巻物上に巻かれていて、全体をご覧にならなかった方もいらっしゃったかもしれない。実は今年、本作品は完成(予定)の形での世界初展示を予定している。展示は、神戸のギャラリー8で12月に展示となる予定だ。

この作品は、昨年のタイトルがcellule babélienne 3 であったように、バベルの塔神話にインスピレーションを受けており、構造の上半分は天に向かうバベルの塔の形状を基礎としている。cellule babélienneというのは、ガデンが2016年から取り組んでいるプロジェクトのタイトルであり、「バベルの塔的細胞」を意味する。プロジェクトといったのは、ドローイングのみならず、彫刻やインスタレーションなど(写真)バベルの塔的細胞のコンセプトを多様に展開して来たからである。せっかくの機会であるので、まずはcellule babélienne に通底するコンセプトについて書いておきたい。


聖書のバベルの塔神話におけるバベルの塔は、天へも辿り着けると過信した人間の驕った心の象徴として描かれ、天まで届く塔を築こうとバベルの塔の建設を進める人間たちの言語を、それに怒った神がバラバラにしてしまい、人間たちは相異なる言語を話し、彼らは意思疎通ができなくなって、バベルの塔建設は行き詰って、塔は崩壊してしまう。

ガデンの絵画「バベルの塔的細胞」では、その複雑で巨大な建造物は多様なミクロオーガニズムで構成されている。核のような構造を頂点に、複雑な構造の生物建築がその中にミトコンドリア、ゴルジ体、葉緑体などの多数の器官を含んでいる。構造の規定部分は、まるで根が張っているかのような細かな繊毛が見られ、描かれていない「地」を思わせる。また中間部には小胞から水泡のようなあるいは粒子のような構造が放り出されており、神経系の情報伝達とか細胞間の物質のやりとりとか、そのような営みを想像させる。絵画としての「バベルの塔的細胞」は1.5メートル×2メートルのものがこれまで二つ描かれており、不作めはちょうど一作目の上下をひっくり返したものでその名も「クローン」と名付けられている(写真)。

 人間は複数の言語を話すが(その数は時を経るにつれ減少している)、遺伝情報を翻訳する自然言語である遺伝のコードは、世界中どこでも共通だ。DNAに基づく遺伝子の言語は、古代の化学的なバベルの塔として姿を現したのだ。

          “alors que les hommes parlent plusieurs centaines de langues ( en diminution avec le temps), le code génétique, le langage de la nature qui traduit les gènes en protéines, est le même partout. le langage génétique, fondé sur l’arn et l’adn, a émergé de la babel chimique des temps archéens.”

                                         lynn margulis et dorion sagan – “l’univers bactériel” – p.57. ed.albin michel 1986.

バベルの塔は第一に言語の混乱の神話を象徴し、つまり唯一で絶対的な言語を失うことであり、それはある意味で崩壊の最終段階を表す。楽園を追放された人間は、あらゆる能力を手放さずに済んだ。彼らは、神の言語、つまり宇宙におけるあらゆる存在様態(無機物、植物、動物、人間)の言語を理解する能力を所有することになった。人間はしたがって言語の科学を操る。(略)神に向かって堂々と、自らの権力と意思を見せつける。この塔は、時空間を経て行われた人間と神のやりとり、つまり、人間の果てしない高慢心とそれを打ち負かした神の勝利を我々の目の前に明らかにしているのである。

la tour de babel symbolise avant tout un mythe: celui de la confusion des langues, donc la perte d’une langue primordiale unique et originelle. c’est en quelque sorte la dernière étape de la chute. chassé du paradis, l’homme a conservé sa toute-puissance: il connaît le langage des dieux, autrement dit, il possède la faculté de comprendre le langage de tous les états (minéral, végétal, animal, humain) de l’univers. l’homme maîtrise alors un science des mots et du verbe sans égale [..] c’est l’affirmation face à dieu, du pouvoir de l’homme, de sa volonté inépuisable. cette tour, qui défie le temps, l’espace, les hommes et dieu est l’expression d’un orgueil illimité, du moi triomphant”.

l’art visionnaire, michel random, p; 88-89. 1991.

blog: florian gadenne