京都新聞11月24日朝刊-美術-「ファルマコンII」

京都新聞11月24日朝刊の美術欄に展覧会「ファルマコンII アート×毒×身体の不協的調和」について<「毒」の両義性改めて考える>(加須屋明子教授ご執筆記事)ということで掲載していただきました。
本展覧会、残すところ本日と明日、11時から19時まで(13-14時除く)開催しております。
本展覧会では現代社会において、見て見ぬ振りや避けて通ることのできない、食の安全や環境と身体の関係性、医療と私たちの関わりなど大切な問題について、「毒」の両義性をもう一度考え直してみることを通じて問題提起しています。
皆様にご覧いただき、ご意見をお伺いしたりお話ができますのを楽しみにしています。
どうぞ、お気軽にお立ち寄りください。
会場は、想念庵(左京区田中里ノ前町49-2)。京都大学界隈を少し北上いただき東大路通沿いから東に入ってすぐ、最寄りのバス停は飛鳥井町です。電車では叡山電鉄元田中駅か少し歩きますが出町柳が便利です。
ぜひお越しください!
(La traduction d’article en français en bas)

« Pharmakon » est un terme d’origine greque, désignant la double signification : poison et remède. Dans l’histoire humaine, nous avons découvert de nombreuses substances qui fonctionnent comme médicament dans l’usage approprié mais aussi qui peuvent causer un effet négatif, voire même poison dans l’usage à l’excès. Le poison n’est un simple élément à exclure, mais il joue souvent un rôle indispensable pour notre vie.

L’exposition « Pharmakon II – l’harmonie dissonante d’art/poison/corps » nous permet de refléchir sur cette nature ambiguë de poison. Conçue par Miki Okubo, curatrice-artiste, l’exposition montre aussi le travail de Jérémy Segard, florian gadenne et Akira Inumaru. Toute la durée de l’exposition, l’œuvre de florian gadenne intitulée « tour babélienne » continue à s’évoluer. Inspirée par « Tour de Babel » de Brugel et Inferno de Botticelli, la tour s’élevant vers le haut s’habille des organes, dit « sains » et celle descendant vers le bas habitée par des éléments « pathogéniques ». La zone de rencontre de ces deux derniers telles différentes activités de phages, sécrétions et mutations minutieusement et dynamiquement remplit la toile. Nous sommes également surpris par l’ensemble des images de microorganismes exposées dans son lieu de travail comme « atlas », ainsi que son univers.

Akira Inumaru, artiste basé à Rouen et Paris, présente la nouvelle série « Pharmakon » où avec une loupe distillant les rayons solaires, il brule des illustrations transcrites depuis l’encyclopédie des plantes médicinales édités au Moyen Age comme s’il juxtapose la lumière d’aujourd’hui sur celle du Moyen Age. Son travail montre une complexité visuelle – couches de papiers brulés, images des plantes couvertes par l’ombre de la racine.

Jérémy Segard, exposant une installation de textile usé, questionne sur l’excès de la stérilisation et le processus de la blanchisserie vus souvent dans les établissements médicaux. Il montre ainsi l’ensemble de dessins préparatoires concernant la question sur l’espace vert. Miki Okubo mettant en lumière l’acte de « manger », présente des pains faits à partir de la levure cultivée, c’est-à-dire, sans utiliser la levure industrielle. Elle nous invite à réfléchir à ce que nous mangeons, comment nous devons l’équilibrer, ainsi que ce qui est la nourriture qui peut être un remède ou un poison.

Chaque artiste joue sa propre poésie afin de déchiffrer un monde s’opposant – double signification qui s’échappant du discours dualisme, pour réussir à mieux percevoir notre monde basé sur une écologie complexe.

Akiko Kasuya, Professeur des Beaux-Arts de la ville de Kyoto
(traduction Miki Okubo, florian gadenne)

Pharmakon II/ファルマコン2 いよいよ明日開幕!

展覧会「ファルマコンII – アート×毒×身体の不協的調和」
いよいよ明日11月10日、17時に開幕です!
出展作家フロリアン・ガデン、大久保美紀が会場で皆様をお待ちしています!

本展覧会では、会期中変化する製作中の作品や酵母菌など生き物を扱ったインスタレーションもあり、開幕、途中、二週間後、どんどん表情の変わる展覧会がご覧いただけます。

明日はまず、会期中レセプションで試食予定の野生酵母パンに使用の酵母菌培養もスタートします。

ぜひいらっしゃってください。

プレスリリースはこちらです。
プレスリリース_pharmakon2_0911

展覧会情報

会期:2018年11月10日〜11月25日

時間:(水)〜(日)11時〜19時(*13時−14時 お昼休み)
   *11月10日17時〜19時、11月11日11時〜13時のオープンとなります。

会場:想念庵 (606-8227 京都市左京区田中里ノ前町49-2)

キュレータ:大久保美紀
参加作家:ジェレミー・セガール、フロリアン・ガデン、犬丸暁、大久保美紀

*上記以外でのご観覧をご希望の場合は、大久保(garcone_mk(atmark)yahoo.co.jp)までご連絡ください。ご希望に沿えますようできるかぎり対応いたします。

*会期を通じて、フロリアン・ガデンによる「バベルの塔的細胞3」の公開制作が行われています。どうぞゆっくりお越しください。(作家在廊日時:会期中(水)〜(日)の 11:00-13:00, 14:00-19:00)

*会期中レセプション:11月17日(土) 17時〜、予約不要。展覧会会場の想念庵にて、支配人の金島隆弘さん、京都大学こころ未来研究センター教授の吉岡洋さんをお迎えして、会期中レセプションを行います。大久保美紀による酵母パン(実験パン)の試食会もございます。ぜひお越しください。

設営の様子です。どうぞお楽しみに!!!

Pharmakon II coming soon!/展覧会「ファルマコン2」もうすぐ開幕!

プレスリリースはこちら! プレスリリース_pharmakon2_1010

ごあいさつ

現代社会における毒はしばしば、体に悪く、健康を損ね、精神を崩壊させる危険なものであると考えられて、その本質を深く思考されることなく安易に排除される傾向にあり、さらには、私たちの食の安全や医療や環境への考えはマスメディアが構築する頼りないディスコースに左右されているように見えます。しかし、科学的知の歴史や文化人類学的観点から見れば、現在私たちが拠って立っている知識がいかに新しく時に不確かで将来より確からしい新たな言説にとって変わられる可能性すらあることに気がつきます。錬金術や薬草学、医療の発達においても、ある時代や文明において<薬>(良いもの)と見なされた物質や処置が別の分脈では<毒>(悪いもの、ドラッグ)として排除された例は数多く見られます。例えば多くの薬は服用目的の他に望まれない効果としての副作用を持ち、タバコや酒等の嗜好品は嗜む者の精神をリラックスさせることを通じて全体的な身体状況を改善させるかもしれません。さらに、少し見方を変えて見れば、健康な状態と病の状態というのも、私たちが一般に考えているほど明らかではありません。統合された一個体として感覚される私たちの身体は、数多くの相反する作用がぶつかり合い、敵対する微生物が混在し、細胞レベルでの生死が繰り返され、<毒>的なものと<薬>的なもの、あるいは「ダメージ」(破壊)と「リメディ」(治療)が共存する宇宙であるとみなすことができます。むしろ、物質とは本質として<毒>と<薬>の両面性を備えており、その効果は利用法や利用目的により全く異なると言えるでしょう。
「毒」という言葉はまた、排除すべき悪者あるいはまた既成の体制を脅かす異分子を表すメタファーとして運用され、つまり既に構築されたもの(システム、組織など)に対して変化を及ぼそうとする個体が共同体の敵とみなされるという社会の根本的なストラクチャーを反映しています。
今日私たちは溢れる情報に翻弄され、とりわけ、放射能や環境汚染による食の衛生・安全の問題、医療技術の向上によって複雑化した生命倫理、都市生活が考えさせる環境との関係性およびコミュニティーにおける生き方、様々な局面で複雑な判断を迫られ、思考が行き止まってしまうこともあるでしょう。実は、<善>と<悪>という二元論的解釈を離れ、「ファルマコン」的に<毒>と<薬>の両面性を理解してバランスを取り、可能な関係性を築くことを通じて、新しいヴィジョンを持つことは可能です。
本展覧会の展示作品は、ドローイング、ペインティング、パフォーマンス、会期中変化する実験公開型作品、参加型作品という多様な形態をとり、生物学(生物化学)的、文化人類学的、哲学的な新たな視点から、現代社会における毒の重要性の解釈に関する異なるアプローチを提案します。         大久保美紀(キュレータ)

 

展覧会情報

会期:2018年11月10日〜11月25日
時間:(水)〜(日)11時〜19時(*13時−14時 お昼休み)
*11月10日17時〜19時、11月11日11時〜13時のオープンとなります。
会場:想念庵 (606-8227 京都市左京区田中里ノ前町49-2)
キュレータ:大久保美紀
参加作家:ジェレミー・セガール、フロリアン・ガデン、犬丸暁、大久保美紀

*上記以外でのご観覧をご希望の場合は、大久保(garcone_mk(atmark)yahoo.co.jp)までご連絡ください。ご希望に沿えますようできるかぎり対応いたします。
*会期を通じて、フロリアン・ガデンによる「バベルの塔的細胞3」の公開制作が行われています。どうぞゆっくりお越しください。(作家在廊日時:会期中(水)〜(日)の 11:00-13:00, 14:00-19:00)
*会期中レセプション:11月17日(土) 17時〜、予約不要。展覧会会場の想念庵にて、支配人の金島隆弘さん、京都大学こころ未来研究センター教授の吉岡洋さんをお迎えして、会期中レセプションを行います。大久保美紀による酵母パン(実験パン)の試食会もございます。ぜひお越しください。

関連イベント:シンポジウム「ファルマコンII – アート×毒×身体の不協的調和」
日時:11.11 (日)14時〜17時20分
場所:京都大学こころの未来研究センター
招待講演:辻野将之氏(食事療法士)
モデレータ:大久保美紀
講演:フロリアン・ガデン、ジェレミー・セガール(skype)、犬丸暁(skype)

 

展覧会 「ファルマコンII」 出展作家と展覧会の見どころは?
展覧会「ファルマコンII」では、フランスで活躍する三名のアーティストの新作とキュレータの実験的作品を展示します。現代の<毒>について、各作家の独特なアプローチと考察に注目です。

cellule babélienne 3 (「バベルの塔的細胞3」), 2m x 4m, Atlas, 2018
シリーズ「バベルの塔的細胞」は、フロリアン・ガデンが、ミクロとマクロの世界観を横断しながら、彫刻、ドローイング、インスタレーションという異なる形態で2015年以降発展させ続けているシリーズです。本展覧会では、昨年の展覧会「ファルマコン」において大阪・京都で同時出店した「バベルの塔的細胞、clone」に続く、cellule babélienne 3 (「バベルの塔的細胞3」)を発表します。初日から終日まで、公開制作を行いますので、会期中変容するバベルの塔的細胞をどうぞ間近でご覧ください。cellule babélienne 3 (「バベルの塔的細胞3」)では、「バベルの塔的細胞1、2」と全く異なる構造をとっています。動植物細胞の<健全な>要素と<病的な>要素が拮抗する天へ向かう塔と地獄へ落ちていく建造物が描かれており、作家は「善/悪」や「健康/病」といった二元論的解釈を疑問視することを通じて、本来生命が持っている免疫や治癒の力、あるいは種の保存のための本能としての調和能力に着目します。
大きな画面に表現されたミクロな世界のうごめく様子をどうぞごゆっくりご覧ください。会場では作家のインスピレーション源となった多数のイメージも展示いたします。

florian gadenne/フロリアン・ガデン
1987年仏生まれ。美術家。2013年ナント美術大学(ESBANM)卒、芸術修士。サヴィニー・シュル・オルジュ(パリ郊外)にて制作。パリ、ナントを中心にヨーロッパにおける展覧会に多数参加。近年は、Château de Oironにおける子どもアトリエ“ Expériences Hasardeuses”(「偶然的経験」、2016年)、植物/無機物/有機物の相互的関係を科学的に考察する実験的作品を多数発表。芸術と科学の領域横断的研究、とりわけ、バイオロジー、環境の生態系に及ぼす影響が主要テーマ。物や生物に蓄積される記憶や物理的刻印に関するプロジェクト“ substances accidentées ”など長期に渡るプロジェクト多数。2016年第三回PARISARTISTESにノミネート、パリ東駅横Couvent des Récolletsにおいて “ cellule babélienne” を展示。エコロジーと動植物と我々の関係を再考するアトリエやワークショップを子供と大人に向けて数多く実践している。
website : http://floriangadennecom.over-blog.com

ファルマコン(« Pharmakon »), ミクストメディア, 2018
「ファルマコン」は、ルーペによって集めた太陽光を利用して重ねられた紙面を焦がす「太陽光による昇華」という犬丸暁独自のテクニックで制作されています。犬丸はこれまでこのアプローチを通じて、生命や物体に秘められた不可視のエネルギーを複雑に可視化する挑戦を続けてきました。本展覧会では、いわゆる薬草が歴史的にある種の<毒>(ドラッグ)と薬両方に利用されてきた事実に着目し、その曖昧で不安定な存在を具現化した絵画シリーズを発表します。本シリーズではさらに、「太陽光による昇華」に加え、新たなマテリアルの開拓によって光を表現しようとしている点も注目してください。作家の挑戦をどうぞご覧ください。

「太陽光。遥か地球の彼方から送られるその光は全ての生物にとって無くてはならないエネルギーの源だ。それは人体や精神に活力を与える薬の様な力を持つ。同時に強すぎる光は皮膚を焼き、視力を奪い、精神にダメージを与える。
植物は体内に取り込んだ太陽光を光合成によって自らの栄養分に換える。植物を眺めるとき、葉や根や実の中に蓄積された光を想像する。人々がそれを食したり皮膚に塗布する事で“濃縮された光”を取り入れる。薬草はいわば太陽光を身体が直接摂取するための薬/毒=ファルマコンなのである。
今回中世の薬草図鑑の中からタバコ、胡椒、生姜の図版を元に制作した。医学と魔術が混在していた時代に植物を通して摂取していた太陽光に想いを馳せながら。
転写の技法で写し出された図版の上にルーペを使って今日の太陽を焼き付けることで、現代の光と中世の光を調合させる事ができるのではないだろうか?」(犬丸暁)

Akira Inumaru/ 犬丸暁
1984年茨城生まれ。フランスのルーアンとパリを拠点に活動中。2008年武蔵野美術学院油画学科卒業後に渡仏。2013年ルーアン・ルアーブル高等美術学校DNSEP(修士号)修得。目に見える物質的な“光”や内省的な“目に見えない光”をテーマに、平面表現(絵画)を主な表現媒体にしながら、写真やパフォーマンスなどの異なった媒体を織り交ぜながら制作している。2012年以降はルーペを使って太陽光で作品の一部を焼く『Distillation solaire(太陽光昇華)』という独自の技法での制作を続けている。
website : https://inumaru.carbonmade.com

無題(non-titre), インスタレーション, ドローイング, 2018
ジェレミー・セガールは、環境と身体の関係性に焦点を当てた二点の絵画と、彼がしばしばアクションを行う際のインスピレーションとしている思考的ドローイングのシリーズ、現在研究とレジデンスを行うCHU(フランスナント市大学病院)の病棟で使い古された布からなるインスタレーションを発表します。セガールはこれまでも呼吸器系感染症と免疫、身体と環境との関係に着目し、領域横断的アプローチを展開してきました。本展覧会では、現在彼が取り組んでいる二つのテーマ、「緑化」と「消毒」を軸にした作品を出展します。「緑化」は今日の都市生活において重要な主題である一方、元々存在するエコシステムや複雑性を無視して人工的な緑化を一方的に図り、除草剤や除虫剤を多用して制御しようとすることは本質的ではなく、その取り組みはしばしば様々な問題を抱えています。また、徹底的な「消毒」は、研究のための実験や医療現場において非常に重要でありながら、<完全に清潔する>とは一体どのような状況なのか、それはどのように実現されるのか、実はさほど明らかなことではないはずです。セガールは、身体と環境との関係性というヴィジョンを無視したあらゆるディスコースに疑問を投げかけ、これをあるべき文脈に置き直すことを提案します。

「KuramaとInari、二羽のカラスは歌い、身動きする。日々彼らの歌う声が私を揺り動かす。彼らの身動きが私の内的な感覚を研ぎ澄ます。ミクロ世界を描くドローイングは人間でない存在に導かれる。風景は、私の中で「ファルマコン」という連続性として広がる。山々や川は、世界に広がる終わりなきコミュニケーションと二重性を思わせる。」(ジェレミー・セガール)

Jérémy Segard/ジェレミー・セガール
ナント美術大学(ESBANM)卒、芸術修士。ナント(フランス)にて制作。パリ、ナントを中心にフランスにおける展覧会に多数参加。近年は、2016年5月〜7月、Vivre, ou vivre mieux ?をLa Conserverieにて展示。同展覧会中、カンファレンスを企画実施。 « Vivre ou vivre mieux ? » を出版(大久保美紀との共著)。伝染病に関わる研究と芸術的アプローチの有用性を模索するプロジェクト « Expérimentation en culture scientifique sur les maladies infectieuses »(伝染病にかんする文化—科学的実験)主催者。Geoffroy Terrier, Florian Gadenne, Evor, Sylvieら多領域に渡るアーティストと恊働し、展覧会を企画・実施。
website : http://jeremy-segard.com

何を食べるのか(“what feeds us”), インスタレーション, ミクストメディア, 2018
大久保は、本展覧会を通じて、<食すること>そのものを思考することに挑戦します。食の衛生と安全は、それが直接的に私たちの健康状態へと影響を与えると教えられている今日、多かれ少なかれ誰もが関心を抱いているにもかかわらず、田舎での自給自足生活が遠い夢なのは言うまでもなく、産地や生産者を熟知した上で選択した食材から日々自炊することさえも困難であるような多忙な毎日を送っています。そして、時々は<体に良くないのだろうな>と思いながら何かを食していると言うのが、私たちの現実です。あるいは、<健康に良い>と言われる食を熱心に追求しすぎたり、食生活にマニアックになりすぎた結果、却って健康を害するケースもあります。酒やタバコのような嗜好品は、毒と薬の両面性を語るファルマコンの典型的な例であり、その摂取方法の選択とバランスの制御が重要であることは明らかであるにもかかわらず、その選択や制御を外部化せざるを得ないほどに、私たちの身体と食(あるいは体内に物質を取り入れる行為)の関わりが不透明となり、食を通じて身体を理解する感覚は不明瞭になっています。
本展覧会では、培養した様々な自然酵母を利用してパンを作るプロセスを通じて得た、実験的な調理結果や現代の食に関する思考について、インスタレーションの形で展示します。パンは古代エジプトより主食として発展を遂げた重要な食物であるにもかかわらず、現代ではほぼ完全に産業化されており、食品添加物や糖類を多く含むふわふわの菓子パンですらない、ごくシンプルな食パンを例にとった場合すら、私たちは自分が食しているのは一体何者なのか、ほとんど知らないのではないでしょうか。11月17日には実験パンの試食会も行いますので、ぜひお越しください。

Miki Okubo/大久保美紀
1984年生まれ。芸術博士(Ph.D)、パリ第8大学造形芸術学部講師。海洋汚染と食物連鎖の懸念がテーマのパフォーマンス「奇形魚のクッキーを食べて、食べ物のことなどを思う」(2013)や梶井基次郎の『檸檬』に基づく実験的電子書籍Citrons(2013)を発表。2014年以降、アーティストと恊働し、医療・生態をテーマにテクストVivre ou vivire mieux?や感染症と清潔概念に着目する展覧会L’UN L’AUTREカタログにテクストを執筆。2017年、京都・大阪同時開催の展覧会「ファルマコン−医療とエコロジーのアートによる芸術的感化」を企画。著書にExposition de soi à l’époque mobile/liquide (2017, Connaissances et Savoirs), Arts Awareness (2017, LAP), Aesthetic considerations of Body consciousness (2018, LAP)がある。
website : http://www.mrexhibition.net/wp_mimi/

想念庵MAP

606-8227 京都市左京区田中里ノ前町49-2

寄生者【ルビ:パラサイト】に想うー世界中のおしっこの痛みを代わってあげることができたなら

展覧会「ファルマコン」の実践ととくに今回展示させていただいている作品「プラセボ候補」と「要らない効能」に関わって今年の初めころに『有毒女子通信』(Toxic Girls Review)のために書いたエセイを掲載します。有毒女子のために書いたのですが実はまだ未発表エセイなので、初公開です。変なタイトルですが真面目なエセイです。清潔とはなんなのか、衛生であることとはなんなのか?本当に体が喜ぶこととはなんなのか?私たちは、隅々まで経済的に商業的に支配されたメディカル環境にあって、それを知りうるのか?
お読みいただけたら嬉しいです。

寄生者【ルビ:パラサイト】に想うー世界中のおしっこの痛みを代わってあげることができたなら
                                大久保美紀

ここ二三年、ジェレミー・セガールというフランス、ナントを拠点に活動するアーティストと共に、ナント大学附属健康研究機関IRSと恊働プロジェクトを実現しており、感染症の最先端の研究や個人化された医療のための新たなメソッドの普及に対してアートを通じて考察しながら、とりわけ「衛生」(Hygiène)のあり方について議論することがしばしばある。公衆衛生と生活習慣についてはかねてから思う所があり、今回のエッセイを通じて異なる方法で考え直すことができればと筆をとる。歴史において人類を苦しめた伝染病蔓延の原因は公衆衛生の不十分な発達と見なされ、この水準を向上し、バクテリアや細菌による伝染病の猛威を食い止める方法を発明することはおよそ人類が医学を発達させる最も重要な原動力であった。世界初の抗生物質ペニシリンは1929年の発明以降第二次世界大戦中に膨大な戦傷者を感染症から救った奇跡の薬として知られ、抗生物質というメソッドは20世紀を通じて発明、実用化、改良、使用の拡大(あるいはその濫用)を辿る。
多くの先進諸国において、とはいえ、若い世代に見られる清潔への脅迫的執着は、感染症の脅威よりもむしろ、文化的・教育的に形成された衛生概念に由来する。毎日朝晩シャワーを浴び、「デオドラント」(無臭化)を徹底し、僅かに残る体臭をカムフラージュするため香水やオーデコロンの香りをプンプンさせるのが今日の洗練された市民に要求された身だしなみである。「デオドラント」は<déodorant>=「臭いの除去」意味するが、日本では一般に体臭や腋臭を防ぐためのスプレーを指す言葉として知られる。「デオドラント」は、酸化した皮脂が温床となって繁殖するバクテリアを予め「殺菌」し、皮膚を化学的に乾燥させ、自然な発汗を抑制することによって体臭を阻止する。
汗の臭いと聞けば、何が何でもこれを無臭に近づけたいと頑張るのが今日の社会的風潮だが、極端に強い腋臭を放つ腋臭症(わきがとも言われる)は今日治療可能な遺伝性疾患として認知されており、そうでない限り、せいぜい、「不快」にはほど遠いかすかな体臭に過ぎない。加齢臭やらちょっとした体臭をマニアックに嗅ぎ取り差別しその人があたかも不衛生であるかのように見なすのは不穏な集団意識だ。そのような風潮は我々の肉体を、その表面だけでなく内部まで、どんどん殺菌剤まみれにしかねない。
熱心に髪や身体を洗い、脅迫的な清潔概念を生きながら、同時に我々は様々な機会に、身体なんて数日洗わないほうが良い、シャンプーやリンスのつけ過ぎは頭皮や毛髪に悪い、コスメティックを地肌にべったりつける代わりに自然な頭皮の状態で放っておくほうが育毛にも結果的には良さそうなことなどを、知識としては耳にしている。洗うと言えば、日本のトイレは国際的にも評価が高く、排尿後や排泄後、肛門や性器周辺をよく洗浄することができるが、排尿・排泄後毎回洗い流すのがほんとうに身体のためなのか、一度、お尻に聞いてみたい。
これから話すことは恐らく何の自慢にもならないが敢えて書く。私は三日に一回くらいしかシャワーを浴びない。特に冬はもっとインターバルがある。手は時々洗うがうがいはほぼしたことがない。風邪をひかない年もあるし、鼻風邪程度をひく年もある。インフルエンザに感染していると診断された事はこれまで一度もない。三日目に仕方なくシャワーを浴びるのは、身体を洗う必然性を身体的に感じるためで、この切羽詰まった感じが結構大事とすら考えている。何となく洗わないのではなく十分意識的にこれを実行しているのだ。というのも、環境における人間の自然な適応能力たるものをナイーブ信仰しており、頻繁に風邪をひいたり、様々な外的要因(環境や食物)に対してアレルギー疾患が発症する原因の一つには、身体が自然に持つ抵抗力を化学的・物理的に失ったり、身体がそれを取り巻く環境にありのままに晒される機会を十分に享受してこなかったことがあげられると思っている。
とは言え、最近非常にドキドキした事件を通じて、身体を晒すことにも限度があるということを知った。我が家では兄妹猫を二匹飼っており、彼らは子猫のころから家の中もご近所も寝室を除いて自由に出入りしている。子どもだった彼らも成獣となり大層毛が抜けるようになっていたらしく、猫はじめ動物の毛アレルギーがなく、基本的にややソバージュ(野性的)な環境で生きることこそ身体を鍛えると真面目に信じて積極的に掃除を怠っていた私と家人は、程無く数える隙間のないくしゃみの嵐に見舞われた。我々の仕事部屋は薄いカーペットが敷いてあるのだが、これが限界までに彼らの抜け毛を吸収したために、猫の毛に対する我々の身体的許容量を超えたと考えられる。これでもかと言うほど猫の毛と埃にまみれたカーペットを除去し、一度床を大掃除した後には誰もくしゃみしなくなった。身体を鍛えるにも限界がある。
もうひとつ、近頃深い哀愁の想いにしみじみする機会を与えてくれたマイコプラズマの話をしたい。性感染症の話題は一般にシビアで、『有毒女子通信』ほどの媒体でないと書こうかなあともなかなか思わないので、せっかくだから綴っておく。性感染症には、HIVウイルスやB型ウイルス肝炎のような深刻なものもあれば、クラミジアなど不妊を引き起こす感染症、カンジダ菌(真菌)が女性に痒みや不快を引き起こすものから、自覚症状も具体的な害も殆どないような感染まで様々だ。
我々の身体は可視的にも不可視的にもミクロレベルで多種の細菌やウイルスが寄生することを許す宿主として存在しているのだなと思うとき、なんだか素敵な気分になる。寄生者は宿主が居ないと生きられないのだが、宿主はたとえ寄生者が出て行ったとしても淡々と生き続けることが可能だ。かといって寄生者は常にまったく貧弱な存在ではなく宿主に「インパクト」を与え、その性質を「変容」させる潜在性を持つ存在でもある。ただ一つのゲームのルールは、「寄生者は宿主を(前提として)殺さない」。
これと言う性感染症に悩まされた事はないが、上述のように女性に症状が現れない感染症もあるので気がついていなかったのかもしれない。マイコプラズマやウレアプラズマというのは性行為によって感染するウイルスの一つで、不妊や流産の原因になるほか男性の尿道炎を引き起こす。欧米では即刻抗生物質を処方し抹殺されるウイルスだが、日本ではそこまで敵視されておらず欧米ほど頻繁に見られる訳でもない。ある出来事がきっかけで、マイコプラズマに感染していることが分かり、有無を言わさずこれを除去することになった。海外に暮らし、国が違えば治療や投薬、病の認識や理解において非常に異なること、それらは時代的である以前にかなり文化的であるということを理解してはいたのだが、「私の身体が何か良くないものに侵されている」という自覚症状がないとき、自らの身体に寄生する、今のところ私の身体にいかなる害も与えていない寄生者を抹殺するのはなんとも暴力的な経験であった(ただし、パートナーが排尿の痛みに苦しんでいるなど具体的な不都合がある場合には言うまでもなく除去する以外の選択肢はないのだが)。

ウイルス抹殺は抗生物質の仕事だが、奴らに好感を持つのは難しい。そもそもAntibiotics=バイオに対してアンチであるというその名前も身体に悪そうだ。副作用や拒絶反応で苦しんだことが何度もある。抗生物質は又の名をAntibacterial drugという。バクテリアは身体に悪いのだろうか?人類発の抗生物質で奇跡の薬と言われたアレクサンダー・フレミングのペニシリンの発見。奇跡のお薬である抗生物質もそもそも青カビ由来ではないか! 抗生物質のおかげで、平均寿命は伸び、脅威から解放されつつあり、人類は幸せである。だがそれらは常在菌にも作用しこれを殺すのでバランスが崩れ、他の細菌や真菌が爆発的に増加することもある。また生き残った菌が耐性化するので濫用は命取りだ。

そんなわけで私も私の身体の寄生者を殺すために抗生物質を服用し、その効果を待ったわけだが、私がその憐れな細菌を失った時(排尿の際、言語化を拒むある種の痛みにより彼らが私の身体を去ったということを理解した)、少し悲しくとても寂しく感じられたこと。私の身体はもはや彼らが寄生できない環境に作り替えられてしまった、抗生物質というケミカルなお薬によって。そしてそのプロセスは、不可逆性なのだ。そう考えて悲しくなったけれど、細菌撲滅のためにわざわざ治療をしたのにそんな事を言うのは不謹慎だから、そして不謹慎だと思いながらこの身体感覚を誰かにどうしても打ち明けたくてパートナーにはおしっこをしながら「さようなら」と丁寧に言ったことなどを何となく話したけれど、それ以来誰にもこの事は話していない。
自らの身体が寄生者にとってもはや住めない場所となったことを、悲しく思うほかもっと救いのある思考は可能だろうか。恐らくそれは「治癒」とは何かを思うことである。疾患が治ることが本質的に意味するのは何か。彼らが住めなくなった私の身体は、何が癒えたのだろうか?世界中のおしっこの痛みを私が変わってあげる事ができたなら、彼らを殺さずに済んだかもしれないとすら、思う。