何を食べるのか / “what feeds us”

何を食べるのか / “what feeds us”

何を食べるのか / “what feeds us”は、<食するという行為>そのものを思考します。食の衛生と安全は、それが直接的に私たち の健康状態へと影響を与えると教えられている今日、多かれ少なかれ誰もが関心を抱いている主題であるにもかかわらず、多 忙な毎日を送る私たちにとって、田舎での自給自足生活が遠い夢なのは言うまでもなく、産地や生産者を熟知した上で選択し た食材から日々自炊することさえも簡単ではありません。時々は<体に良くない物>を自覚的に食するというのが私たちの現 実です。あるいは、<健康に良い>と言われる食を熱心に追求しすぎたり、食生活にマニアックになりすぎたりした結果、却 って健康を害するケースもあります。酒やタバコのような嗜好品は、毒と薬の両面性を語るファルマコンの典型的な例であり、 その摂取方法の選択とバランスの制御が重要であることは明らかであるにもかかわらず、その選択や制御を外部化せざるを得 ないほどに、私たちの身体と食(あるいは体内に物質を摂り入れる行為)の関わりが不透明となり、食を通じて身体を理解す る感覚は不明瞭になっています。 本インスタレーションでは、培養した様々な自然酵母を利用してパンを作るプロセスを通じて得た、実験的な調理結果や現代 の食に関する思考を、自然酵母パン・酵母採集果実・ルヴァン・培養酵母・写真・テクストによって紹介します。パンは古代 エジプトより主食として発展を遂げた重要な食物であるにもかかわらず、現代ではほぼ完全に産業化されており、食品添加物 や糖類を多く含むふわふわの菓子パンですらない、ごくシンプルなバゲットや食パンについてすら、一体何を食しているのか、 私たちはほとんど知らないのではないでしょうか。 会場に置かれたガラス容器には、果物や野菜から採取した酵母菌が培養されています。酵母菌は毎日室内の空気を吸うことを 必要としています。時々は糖分も欲しています。どうぞ蓋を開けてお部屋の空気を混ぜ込み、エネルギー不足の時は砂糖を入 れてあげてください。皆さんが培養に協力してくださった酵母は、11 月 17 日(会期中レセプション)と 25 日(クロージング) の日にそれを原種にしたパンとして焼き上げ、試食をしますので、ぜひいらっしゃってください。

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「食べる」という日常的でとりとめのない行為の、その自明さが失われたとき、私たちはふと、わたくしの身体に摂り入れ、 消化し、吸収されて私たちを生かしているのは何者なのか、想いやることになります。「食べる」行為は、私たちにとってた だ一つの身体に直接作用しながら、何かを及ぼしたり変容させたり破壊したり、つまりは私たちの命そのものに深く関わって いるに違いないのに、「食」は私たちにとって曖昧で不安定な対象であり続けます。

私たちは、慌ただしい日々の生活のなかで、食品衛生と食の安全に関して溢れるほどの情報を得ながら生きています。「健康 食品」や「健康的な生活習慣」にマニアックな人が必ずしも完璧な健康体を維持しているわけでも強靭で安定した精神状態を 保っているわけでもなく、一方、一見気ままで自由な食生活を送っている人がいわゆる「生活習慣病」とは無縁の生き生きと した身体を楽しく生きていることもしばしばです。

私たちが手に取る食材は、本当は顔色が悪いのに無理して熟れさせられた野菜とか、十歩と自由に歩いたことのない環境で育 ったふわふわで脂っぽい肉とか、加工されすぎて素材の原型を留めないレトルト食品とか、つまり、素材そのものの良し悪し を見抜こうにもそれが叶わないほどそこから遠ざかってしまっているために、味とか香りとか自然の色ではなくて、成分表示 のビタミンとか、カロリーとか、カルシウムとか、数字化された情報や、パッケージに「書かれた」フレーズを鵜呑みにして、 消費するに至っているものばかりです。

中国古代医学を基礎に食による養生を唱える実践である「食養生」の基本的な考え方に、「風土性」と「自然食」があります。 命ある食べ物を頂くことを説く一物全体食および食材は自らを育んだ土地のものが良いとする身土不二の考えに沿って食生活 を営むよう意識することは、マスメディアが伝えている今日と明日でガラリと変わってしまうかもしれない健康にいい食べ物 の情報に流されて右往左往するよりも遥かに確からしい拠り所を私たちに与えてくれるでしょう。

私たちの食は、したがって、なるべく身近で採れた自然のままの食材を利用するのが望ましいのに、数千キロも旅して来るヨ ーロッパのミネラルウォーターをわざわざ購入して飲んでいるように、日本では育たない熱帯の果物を頻繁に食べているよう に、高級な輸入加工品を好んで探し求めて消費しているように、おかしな努力と矛盾した健康志向に満ちています。

私はヨーロッパに住んでいるので、遠くから運ばれて来る日本の調味料や日本の野菜に敢えて固執しないことにしています。 今日、日本産のお米も手に入るけれど、日本で炊く方が遥かに美味しく感じますし、日本米を真似た米種もありますが現地の 素材と調味料で調理するとなんだかしっくりきません。一方、日本で生まれ育ったので、バターやクリームたっぷりの料理を 何年経ってもフランス人ほどうまく消化できないし、バターに強烈な甘みが加わったデザートやビスケットとココアの甘った るい朝食は体が受け付けないのを感じるので、今もしょっぱい朝食を摂り続けています。

「食べること」を思考する中で、食べられるものと食べられないものの境界にも関心を持つようになりました。食の安全の話題に戻りますが、私たちの多くは、食品パッケージに記された「品質保持期限」に従ってその食物が消費可能か不可能かを決めており、色を見たり、匂いを嗅いだり、味を確かめたり、自分の身体を通じてその可否を判断することを欠いています。なるほどそれは便利な情報ですが、季節や気候によって、保存条件によって、あるいは個人の体質によって消費可能か不可能かは異なります。ある人に腹痛をもたらしたものが別の人になんの症状も引き起こさない可能性も大いにあります。腐っている
か腐っていないかを知りえないのは私たちが飽食の時代と空間に身をおいているからこそ問題にならないにすぎません。食物が枯渇するような危機に置かれた時、それがある程度安全に摂取可能かどうか知り得ないなんて、動物としてあまりに脆弱ではないでしょうか。

同様に、食のマーケットに完全依存する私たちの向こう見ずな脆弱さに気がつくことは、主食の確保についても考えるきっか けを与えてくれます。パンを主食にする人々がいます。米を毎日食べる人々がいます。トウモロコシ粉や小⻨粉で作ったクレ ープを主食にする人々がいます。イモを毎日食べる人々がいます。私たちの多くは、主食とは毎日食べるものなのに、これら を自らの手段を通じて手に入れる手段を全くと言っていいほど持っていません。日々炊いている米がどの地方の田で育ったか、 使用されている小⻨の産地がどこか、その程度の情報は、私たちがもし何かのキッカケでこれを自らの方法で再現しなければ ならない時、ほとんど役に立たないでしょう。私たちは、現行の産業化された食品市場に絶対の信頼を置いて、それが機能し ないような事態には為す術もなく共倒れする覚悟で、日々それを全力でサポートしています。しかし、それはとりわけ怠惰な ことではなく、都会生活の全てを捨て、田舎で農業を営み自給自足の人生を送ろうと決断することは、今日の様々な社会的・ 経済的文脈を考えれば、極めて難しいことは明確です。では自分だけでなく人類全体で歩んで行こうではないかと、どこかの エコロジストのような理想を掲げても、ひとたび高度に組織されて分化された産業世界が再び退行して非先端化の道を辿るこ とはありそうにありません。

しかし、私たちの日々の生活において何を食べるのかという問題について、このまま思考停止を続けるのが難しいのも確かな のです。これ以上その問題を無視し続けることは私たちの身体に重大な影響を及ぼし、その身体を抱えて生きることで私たち の思考すらも危機的な状況を迎えてしまうかもしれません。

パンはビールとともに古代エジプトが発明した二大発酵食物です。そこでは酵母菌が使用され、ご存知のように小⻨粉と混ぜ て時間を置くと生地が膨張し、膨らんだ小⻨粉の塊ができます。それを焼けば、気泡を含んだパンとなります。今回の私の実 験的プロジェクトでは、小⻨がどうやって私たちの手元へやって来るか、おそらくもっとも大切なプロセスを残念ながら無視 してしまいました。今回は、生地を膨張させる酵母菌を食材から採取するところから出発し、それを様々な環境で培養してパ ンの原種を準備していますが、そこでは多くの失敗も起こりました。酵母菌以外の菌が繁殖し、酵母液が真っ白になってしま うこと。酵母の発達が未熟であったり、明らかに腐ってはいないけれどパンが膨らまないこと。原種の発酵が進みすぎて酸味 の過剰なパンが焼きあがること。また、自然酵母のパンは市販のイーストパンより遥かに可食期間が⻑いことやテクスチャー の保存の点で優れていることなど興味深い観察もありました。

私たちが身体に摂り入れる食材は、一概に薬とも毒とも言えない曖昧な存在であるので、私たちはそれらのエネルギーと向き 合い私の身体を理解することを通じてそれらを本質的に受け入れることができる。小さな問題提起が、そのようなきっかけと なることを願っています。

(大久保美紀)

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