みどころ・作品紹介/ ne pas manquer!

みどころ・作品紹介
 Terminal Kyotoでは、参加アーティスト9名の作品を町家の一階、二階および二つの地下室を利用してお見せします。CASでは、展覧会「ファルマコン」の参加メンバーより6名のアーティストの作品をご紹介します。

 エヴォー(Evor)はミクロとマクロのパースペクティブを巧みに操り、絵画「Nymphe」(ニンフ)において、世界を構成するパーティクル(粒)が化学反応を経験しながら変異を経験していく様子、あるいはまた、我々の認識の届かないところにある銀河の営みや新しい宇宙の生成といった果てしないヴィジョンを想像させます。とくに、ターミナル京都の地下室に広がる彫刻のインスタレーション「Nourritures célestes」(星座的食糧)は、フランスで病院における長期レジデンスが着想源となっている、病院食を配膳するのに使われるプレートを鋳型とした石膏に施されたミクストメディアの絵画の集合です。それらが暗闇で浮かび上がる様子は、食糧が我々の体内に取り込まれ吸収されるミクロ世界の出来事が、象徴的に宇宙や星座といったマクロ的世界と重ね合わされるようです。

 フロリアン・ガデン(florian gadenn)は、高さ2m×幅1.5mの巨大なドローイング「cellule babélienne clone」とライプニッツのモナド論にインスピレーションを受けた生物彫刻「monades」を展示します。「cellule babélienne – clone」は、ガデンの重要な主題である<バベルの塔的細胞>のシリーズの一つで、核、ゴルジ体、葉緑体、ミトコンドリアなど植物細胞の構成体が一つの塔のような建造物を築く様を描き出します。異なるエレメントが互いに関連し新たな生命として生まれ直すようにも解釈できる<バベルの塔的細胞>は、異言語を話す人類や多様な外見を持つ生物は大変異なって見える一方、あらゆる真核生物は遺伝子のコード(塩基配列)レベルではかなりの部分が共通であるという事実を浮き彫りにします。繭のような形をした彫刻には菌床あるいは発芽する種子が秘められており、互いに独立を保ちながら予定調和する世界を象徴しています。レセプション当日庭で行われるパフォーマンスもどうぞお楽しみに。

 アンヌ=ソフィ・ヤコノ(Anne-Sophie Yacono)「L’océan de Chatteland」(女性器の帝国)という独自の世界を展開し、リトグラフィ、ドローイング、絵画、彫刻、多様なメディアを用いてこの世界観を体現しつづけています。男性器の集合のように描き出される世界は、奇妙にもいわゆる「女性的な」ヤコノ独特の色調で彩色されています。性差と社会におけるその役割、女性器と男性器からなる世界のその解釈はときにマッチョな世界へのラディカルな批判と暴力性を含みます。作品には、混沌として争いの絶えない世界の中で生き延びるすべを探し求める生命体のうごめきが見て取れるでしょう。本展覧会で世界初公開となる3メートルの巨大ドローイング「」をお楽しみに。

 ジェレミー・セガール(Jérémy Segard)が大阪会場で展示するデッサン「Vivre ou vivre mieux ?」(生きる、よりよく生きる?)は、近年着目の集まっているパーソナライズド・メディシン(個人化された医療:投薬や治療による副作用、望まない効果をできるだけ避け、個人の状態により対応した治療を行うことを目的とし、癌治療を中心に導入が進む)へ問題提起します。京都会場では、一連のドローイングを通じて、医療の現場における我々の身体のありかた、物質であり非物質である我々自身は、他者や社会、外界との関係をどう築くのかに着目します。京都で行うパフォーマンスの奇跡、ヨーゼフ・ボイスに強い影響を受けているセガールの社会的彫刻の実践のひとつといえる陶器彫刻もご覧ください。

 犬丸暁は、紙にルーペを使って太陽光による焼き付けを行うという独特の手法で、可視的な世界の外側にある不可視の世界を浮かび上がらせようとします。植物や身体をテーマとする犬丸の関心は、見えないエネルギーを集め、それが紙を焦がせ、穴を開け、可視的イメージをも消しさってしまうことで現前していたヴィジョンを異化してしまいます。犬丸暁は、パリ・ルーアンを拠点にフランスやヨーロッパで活躍、今回展覧会「ファルマコン」でお目にかける高さ110cm、145cmの大きな作品は特に日本で初公開となります。

 石井友人は、2点の新作と作家がパリ滞在中に製作した作品合わせて3点を出展します。「At the Tama hillside」および、「My town」は、団地(多摩ニュータウン)出身の作家自身のアイデンティティあるいは「団地育ち」という世代的アイデンティティに着目します。日本の戦後の都市開発を象徴する「団地/ニュータウン」は、個人と社会や、人間と自然環境、人と物など、われわれと様々な対象における関係性を根本的に変化させました。それらの映像は、ふだんは石井個人の生活空間に置かれた観葉植物の鉢植えをチャンネルとしながら、都市生活の身体について考えさせます。

 大久保美紀のインスタレーションは、わたしたちが日々取り巻かれている異なった「撞着状態」に着目します。病状を改善し、病気を治癒させるために行われる投薬や治療がしばしばサイド・エフェクト(副作用)をともない、それが甘んじて受け入れられている現状や、薬でもないのに具体的効果を発揮するプラセド効果をめぐる奇妙さ。あるいはまた、本来は「買いたい欲求」を刺激する目的で行われるCMがしばしば法律や倫理的理由などから購買者を辟易させるために使われる矛盾した状況など。本展覧会では4点:「撞着するタンス」、「プラセボ候補」、「要らない効果」、「ほしくないためのCM」を展示します。

 田中美帆は、展覧会「ファルマコン」にて新作となる作品「ゆっくりもちあがるテント」を発表いたします。環境と自己との関係性や、社会と個人のありかた、生き方の異なる生物間のありうる対話など、近年とりわけ植物を介したアプローチを発展させる作家の新作にご着目ください。

 堀園実の彫刻は、奇跡として世界に留まらなかったはずの身体性や生命の記憶を石膏に記憶させることで時空間に宙づりにする挑戦といえます。ネガティブーポジティブのシリーズは、出来事が記録/記憶されるときそこには常に相補的な関係があることを可視化します。ネガとポジの彫刻において、堀は造形への自己介入を最小限にし、写真においては<明暗の反転>であるネガとポジの関係性を<雄型と雌型>に置き換えています。あらゆる無駄を省いて最小限の努力とコストで最大の結果を得ることを求められる現代の都会的生活において道端の石ころは見向きもされず、生活空間において着目されることも、その意味を語られることもありません。堀の彫刻は、その無意味なモノに着目し「ポートレート」することで「無意味な状態を解体」する試みと言えます。